自殺をなくすには

一般的に自殺しやすくなると言われている病気を長く患っているのですが、自殺について一般的に言われていることの中には、強い違和感を感じるものもあります。

 

あくまでも個人的な見解ですが、「死にたくなる状態」と「死にそうな状態」には、明らかな違いを感じました。

 

「死にたくなる状態」の時でも人は簡単には死ねないと感じましたが、「死にそうな状態」の時には人はもう生死をコントロールすることができなくなると感じました。

 

「死にそうな状態」の人の生死を分けるのは、その時に身を置く環境の差でしかないのではないかと考えています。例えば、新幹線で長距離移動中なのか、それとも部屋で一人きりなのか、といった差です。

 

だからといって、「死にたくなる状態」の人はサポートする必要がないと言いたいわけでも、「死にたい状態」の人は救いようがないと言いたいわけでもありません。

 

全ての人、「死にたくなる状態」の人にも「死にそうな状態」の人にも言えることは、そのような状態になる前に、不調を感じたら身近な人たちに気軽に相談できる環境を作ること、そして、適切な治療、カウンセリングなどを早めに受けることだと考えます。

 

そのためには、病気に対する偏見をなくすことが必要ですし、そのための教育も必要だと考えます。不調を感じても気軽に相談できない最大の障壁は、本人が病気に対して偏見を持っていることではないでしょうか。それを取り除く教育が早急に必要だと考えます。

 

人の死に際して、自身の中で未整理のままであった考えをまとめてみました。

ネット上の承認欲求

SNS(主にTwitter)のTLを見ていると、著名人の発信に対して無礼な表現を用いた批判的な返信をする人をよく目にします。

 

そのような人は、いったい何を求めているのでしょうか。

 

著名人の発信を追いかけて、手間暇をかけて投げかけた批判的な返信は、およそ建設的な議論を求めているとは思えない無礼な内容であるため、無視されて終わり、報われることなどありません。

 

自己顕示欲を満たしたいだけなのでしょうか。それとも、他の人から認められたいのでしょうか。

 

インターネットの普及により、個人でも簡単に意見、考えなどを発信できるようになりました。

 

便利になった反面、他の人から気分が悪くなる攻撃を受けるなど、負の側面も目につくようになりました。

 

便利なものは、気持ち良く使いたいものです。

 

空気が読めないということ

最近、空気を読まずに突き抜けた才能を示し、結果を残す人を称賛する傾向にあるのではないかと感じています。

 

空気を読まずに自分の考えを貫けるのは素晴らしいことだとは思います。しかし、その裏で、空気が読めずに苦しんでいる遥かに多くの人たちがいるのではないかとも感じています。

 

空気が読めない。その場での振る舞い方が瞬時に判断できない。まわりを観察する。他の人がどのように感じるのか想像する。行動が遅れる。自己嫌悪に陥り、自己評価を下げる。その繰り返しの悪循環。

 

違いはどこにあるのでしょうか。

 

他の人がどのように感じるのか。他の人からの評価を気にするか否かに尽きるのではないでしょうか。

 

言い換えると、自分の考え、判断、行動など、全てを肯定的に受け入れることができない。

 

もっと自分のことを認めてあげる。他の人は、自分で思うほどには自分のことを気にしてはいないのですから。

 

強い自戒も込めて。